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グローバル経済と現代奴隷制
 ケビン ベイルズ (著) /凱風社 
53〜99頁からごく一部の抜粋です。

少女の〈大量販売〉
スィリが目覚めると昼近くだった。目が覚めたとたんにスィリは自分が誰で、どういう境遇にいたのか思い出す。私にしてくれた話によると、スィリは性器に痛みを感じて、前の晩、15人の男とセックスをしたことを思い出すという。スィリは15歳である。1年前、両親に売られてここに来た。今では抵抗する気もなえ、売春宿から逃亡しようという気持ちもなくなって、忍従とあきらめが心を支配しつつある。

‥‥スィリは、エイズを発症するのではないかとひどく恐れている。売春の意味が分かるようになる前から、スィリはHIV について知っていた。スィリの村の多くの少女が売春宿に売られてエイズを発症し、里帰りして死んでいるからだ。スィリは、病気にかからないようにと、毎日仏様に祈る。スィリはまた、客にコンドームを使ってくれとたのみ、たいていはヒモの口添えでそうしてもらえる。しかし、警察官やヒモが相手のときは、好きなようにされてしまう。抵抗しようものならなぐられ、レイプされる。スィリは妊娠も恐いので、他の少女たちと同様、デポ・プロペラという避妊薬の注射を受けている。ひと月にいちどHIV 検査を受けるが、これまでのところは陰性だった。陽性になれば売春宿から放り出され、飢え死にすることは承知のうえだ。

 スィリはまだほんの15歳だが、売春婦という境遇を受け入れあきらめをつけている。周旋屋に売られて売春宿に連れてこられてから、スィリは仕事が自分の考えていたものとは違うことを知った。多くの田舎に住むタイ人と同じく、スィリは世間のことは知らずに幼年時代を送り、売春宿で働くということがどういうことなのかも知らなかった。スィリは初めての客にケガをさせられた。スィリは最初の機会に逃げ出したが、金のないスィリは路頭に迷い、すぐに捕まって連れ戻され、なぐられ、強かんされた。その夜、スィリは早朝まで次から次へと客を取らされた。なぐられ、客を取らされる夜が何日も続くうちに、スィリの意地は完全についえた。

‥‥タイでは売春は非合法だが、スィリのような少女が何千人も性奴隷として売り渡される。こうした少女たちを置く売春宿は、さらに大きな風俗産業のほんの一部にすぎない。

‥‥スィリの話は典型的な例である。周旋屋自身が北部の村出身の女性で、スィリの村の家族に近づき、娘たちに割のいい仕事があると持ちかける。スィリの両親はおそらく、その仕事が売春であると承知していただろう。というのは、村の他の娘たちが南部の売春宿へ出された過去を知っていたからだ。数回の交渉のあとスィリの代金として5万バーツ(24万円)が支払われた。稲作農家のこの家族にとっては大金である。少女たちを奴隷にする〈債務奴隷制〉は、この交渉から始まる。周旋屋と両親が取り交わした契約書には、この金は娘が働いて返すこと、債務の完済後まで娘は暇ももらえないし、家族に仕送りもできない──と記されている。この金は両親の借金とされるケースもある。この場合娘は抵当物件ともなり、また返済手段ともなる。しかし借金には法外な利息がかけられ、少女が性奴隷となっても債務を返済できる目途はたたない。

 当初5万バーツ(24万円)だったスィリの債務はまたたくまに膨らんだ。周旋屋に南部へ連れてこられたスィリは、今働いている売春宿に10万バーツ(48万円)で売られた。強かんされたりなぐられたりした後でスィリは、売春宿に返済すべき債務が20万バーツ(96万円)に相当すると教えられた。おまけにスィリには、ほかにも返済しなければならない借金があった。それは、1か月3万バーツ(15万円)の部屋代をはじめ、飲食代、薬代、ちゃんと働かなかったり客の機嫌を損ねた場合の罰金などである。

‥‥この計算だとスィリは、1か月に300人の男と寝てようやく、部屋代が払える計算になる。

‥‥周旋人の性別は男女半々で、口をきいてまわる地域の出身者が多い。なかには地元の名士が少女の売買をする例がある。それは警察官だったり、中央官僚だったりするが、あろうことか教師までいる。社会的信用は、少女の買い付けにはうってつけだ。こんな仕事をしてても彼らは尊敬されている。職業斡旋業者は親からは太い金づると見なされ、土地ではよく知られた顔である。女性周旋人の多くはかつて売られた経験があり何年か売春婦をつとめたあと中年になってから、少女たちを売春宿に供給して暮らしを立てている。こうした女性たちは性奴隷制の歩く広告塔である。その生活スタイルと収入、洋風の衣装、蠱惑に満ち、洗練された仕草などが、買われていく少女たちにバラ色の未来を夢見させてくれる。

 こうした女性たちの肉体が売春宿での生活に生き残れたことは例外に属する。数からいうと、帰村してエイズで死ぬ若い女性のほうが圧倒的に多い。

‥‥奴隷保有者といっても実際のところは、個人会社だったり会社組織だったりあるいは法人企業だったり、まちまちである。1980年代以来日本からの投資がタイに流れ込み、「雁行形態」と呼ばれる形で巨大資本の流入が起こった。タイでは強い円の流入により地上げと建設ラッシュが起きた。エレクトロニクス企業がテレビ製造工場を立ち上げる一方、投資家たちは、風俗産業の高利益率に目を付けた。日本人の後を追って、次に「四匹のトラ」(大韓民国、香港、台湾、シンガポール)と呼ばれる国・地域からの投資が続き、売買春に信じられないほどのビジネスチャンスがあることが知られるようになった(この5か国は、奴隷化されたタイ人少女の輸入国となったことは、以下で述べるとおりである)。

 「雁」と「トラ」には、地元の暴力団・警察・役人を買収するだけの資産があり、風俗産業を立ち上げる不動産もあった。地元のタイ人も風俗産業ブームに乗じて売春宿に資金を投入した。比較的小資本のタイ人は、労働者階級向けの安い店を開くことが多かった。売春婦たちは警察とは定期的に接触するが、事実上自分たちを所有する奴隷保有者の顔を見ることはない。現代タイにおける奴隷保有者と奴隷との関係は、公正な資本主義の手本である。売春宿経営者は個人であれ会社組織であれ、売春婦と接触する必要はない。まして資本だけ出している共同経営者にいたっては、自分が奴隷保有者であることすら意識せず、風俗産業の労働者を雇っているとしか考えない。

‥‥奴隷保有者はまた、奴隷もしくは奴隷の子孫を世襲的に所有する形態とも縁がない。さらに、奴隷にはかけらほども関心を有しておらず、興味があるのは投資の損得勘定だけである。こうした人たちが奴隷保有者にならなかった場合は、資金を他のビジネスに回すことがあるかもしれないが、そうした変更にほとんどメリットを見いだせないのは、売春宿が手堅い投資先で株式より安定しているからである。経済発展への寄与は、タイでは〈倫理にかなう〉ことなので、奴隷保有者は自分たちの貢献に誇りを感じているかもしれない。自分たちは雇用を創出し、債務にしばられた少女たちを農村の貧困生活から救い上げてやった──というわけだ。しかし、こうした点が道徳問題として取り上げられることはない。奴隷保有者たちは、売春宿にいる女性たちがどこの出身かとか、彼女たちの身の上に何が起きているか、などと一瞬たりとも考えないですむからである。今日の奴隷ビジネスを理解するには、奴隷制を機能させている経済を知っておかなければならない。

‥‥過去の奴隷制は長期にわたる資本投下が必要で、確実だが利益はあまり大きくなかった。ところが現代の新奴隷制は、女性を使い捨てにできるし、子供からもがっちり絞り取れる──こうした事柄すべてが、低リスク高収益のこの商売を成り立たせている。売春宿の外見は見るかげもなく荒れ果てて不潔だが、若い少女たちをすりつぶして金に変える、きわめて効率のよい換金マシンなのだ。

 

‥‥少女たちが搾取される利益は年間460億バーツ(2,200億円)を超える。しかしこのような利益構造には、見落としてはならない代償がある──少女たちの肉体と精神と健康である。

使い捨ての身体
 少女たちの値段はあまりに安いので、長期にわたって大切に面倒を見る理由はない。医療や病気の予防に金を出す売春宿はまれである。なぜなら、〈債務奴隷〉にされた少女たちが働ける期間はかなり短く、せいぜい2年、長くて5年だからである。そのあと──言い換えれば、利益をあらかた絞り取ってしまったあと、用済みは捨てて「取れたて」の子に替えたほうが費用対効果がいい。病気になったり死にかけている少女の面倒を見ようなどという売春宿はない。

 売春宿で奴隷にされた売春婦たちは、身体の健康と生活のうえでふたつの大きな脅威にさらされている──暴力と病気である。暴力はつねにそこにある。少女たちは強かんされ、殴打され、脅されて奴隷となることを強制された。暴力こそ、少女たちを売春奴隷に転落させる決定的手段である。実際、会って話を聞いた少女たちは、同じような身の上話を繰り返した。売春宿に連れてこられたり処女として最初の客を取らされてからは、少しでも抵抗したり拒んだりすれば、なぐられたり強かんされる目にあったという。薬を飲まされて暴行された例もある。ほかにも、銃を突きつけられてなくなく言うことを聞いた少女もいる。有無をいわせずその場でただちに痛い目にあわせるのが、うまく奴隷にする秘訣である。売春宿に連れてこられてから数時間もしないうちに少女たちは痛めつけられショックを受ける。他の拷問の犠牲者と同じように、少女たちは、しばしば感覚を失うことがある。肉体ではなく心が麻癖してしまうのである。年端のゆかない少女たちは、自分に何が起こっているのか理解できず、心の傷は途方もなく深い。心を打ち砕かれ、裏切られ、何があったのか記憶していないことすらままある。

 最初に暴行されると少女は抵抗する気力を失う。しかし、暴力は決して終わらない。売春宿では、暴力と恐怖がすべての問題に決着をつける手段である。口答えも懇願も許されない。虫のいどころの悪い客にはなぐられ、サドの客にはもっと痛めつけられる。少女たちを怖じ気づかせ、いっそうたやすくだますために、ヒモは売春婦たちに手当たりしだい恐怖の鉄拳を浴びせる。なぐられたくなかったら、ヒモの望むことにはなんでも従わなければならない。逃亡は不可能だ。ひとりの少女の証言では、逃げようとして捕まったあとヒモになぐられ、さらに〈女の子選び〉の部屋に連れていかれて売春宿の少女たち全員の前でヒモとふたりの助手から打ち据えられたという。そのあとこの少女は部屋に閉じこめられ、三日三晩、食べ物も水も与えられなかった。そして部屋から出されると、すぐに仕事につかされた。別のふたりの少女も、逃亡未遂で捕まると素っ裸にされ、鋼のコートハンガーでヒモにイヤというほどたたかれたという。警察は、少女が逃げると捕獲係になる。捕まった少女たちは売春宿に連れ戻される前に、警察でもなぐられたりして虐待を受ける。大半の少女たちはすぐにこう悟る。もう逃げられない、唯一自由になる望みがあるとすれば、ヒモに気に入ってもらい、債務を返済するしかない、と。

 そのうちに、混乱と不信が次第に消えていって恐怖とあきらめに代わり、心と身体をつなぐ意識の連環がプツンと切れる。こうなると少女は、苦痛を和らげるためならなんでもするようになる。一日に15人の客が自分の身体を使うという生活にも、心理的に適応するようになる。こうした虐待への反応はさまざまな形態を取る──無気力、攻撃性、自己嫌悪、自殺未遂、精神錯乱、自傷行為、鬱状態、本格的精神病、幻覚などだ。

 自由になって施設に保護された少女たちにも、こうしたすべての症状が見られる。少女たちのを助ける保護施設のケースワーカーは、少女たちが情緒不安定に悩まされていると報告している。少女たちは、人を信じたり人間関係を構築することができず、売春宿の外の世間に復帰できなかったり、正常な学習や精神的発達が阻害されたりする。

‥‥妊娠すれば堕胎手術を受けさせられる。中絶は違法であり、手術はヤミで行われるため、ありとあらゆる危険がつきまとう。なかには、妊娠しても客を取らされる女性もいる。タイ人男性のなかには妊婦とセックスしたがる客がいるからである。子供が生まれると、売春宿経営者は赤ん坊を取り上げて売り飛ばし、女性は仕事に戻される。驚くまでもないが、HIV の感染とエイズ発症が、奴隷にされた売春婦に多発している。タイのHIV感染率は世界一だ。

‥‥北部の村には、エイズで死ぬために売春宿から帰郷した少女や女性たちを収容する施設がある。しかし、こうした女性たちは故郷で村八分にされたり、村から追い出されることもある。慈善団体と政府が運営する社会復帰センターが若干数設置され、元売春婦やHIV陽性の女性の面倒を見ているが、そうした施設を必要とする人々のほんの一握りしか収容できない。いったん売春宿を出ると、こうした女性たちの多くに残された生活の道はない。そのため、年季が明けても売春宿を出ていこうとしない女性もいる。

‥‥たまに、政府が一斉検挙に出て少女たち全員を保護することもある。これはショーのようなもので、新聞報道があったり外国から注目された場合に行う必要が生じる。この手の一斉検挙の間、売春婦は警察から隠れたり逃げたりする。ふだんから警察は奴隷保有者の味方しかしないので、少女たちは、一斉検挙にも最悪の事態を考え、自分たちが自由になれるとは考えていない。

‥‥とりわけミャンマーの女性やラオスの女性が味わわされる恐怖は、売春宿を逃亡してやっとのことで国境の回転ドアにたどり着いたとしても、再度奴隷にされる可能性が高いことである。彼女たちが売春宿から逃げ出したり経営者から捨てられたりするとすぐに警察の目にとまる。なぜなら、運賃の持ち合わせもなくことばも話せないからだ。捕らえられれば留置場に入れられる。そこには、定期的な売春宿の一斉捜索で検挙され、着の身着のままで保護された女性もいる。地方の留置場だと、外国人女性は起訴されないまま八か月も拘留され、その間警察により、性的虐待を初めいろいろな虐待を受けるケースがある。やがてバンコクにある移民抑留センターか、パークレットにある懲罰感化院に送られる。そのどちらでも、職員からの虐待とゆすりは続き、こうした場所から売春宿に売られて返される女性もいる。

 国外追放に裁判はいらないが、多くの女性が裁判にかけられ、売春もしくは不法入国の罪で有罪判決を受ける。タイでは裁判が通訳なしに行われ、有罪に罰金が科される。罰金を払う金がなければ──たいていは払えないのだが──罰金の代わりに刑務所の付属工場で働かされる。こうした工場では1日12時間も、電球を作ったりプラスチックの造花を作ったりする。刑務所職員が罰金を払えるだけ働いて稼いだかどうかを決める。刑務所付属工場のあとは、女性たちは留置場か移民抑留センターへ戻される。多くの女性が交通費を工面できるまで留置される(不法滞在外国人は、法律により交通費を自費で払わなくてはならない)。略式で国外追放されるものもいる。

 タイとミャンマーの国境地帯は無法地帯でことに危険な場所である。ミャンマーの軍事独裁政権が統制しているのはほんの一部だけで、その他の地域は少数民族の民兵や軍閥の手に掌握されている。国境にたどり着いた国外追放者は、入国管理警察がまた3日間から7日間にわたって留置する。この間警察は、繰り返し被収容者から金をゆすり、肉体的・性的虐待を加える。警察はまた、この機会を利用して、売春宿経営者や周旋屋と段取りをつけ、国外追放の日時と場所を知らせる。その日がやってくると、囚人たちは何時間も国境沿いに車で運ばれ、田園地帯へ連れていかれる。そして人里から遠く離れたところで、乗ってきた家畜用トラックから放り出される。幹線道路から数キロも離れたジャングルの中に捨てられた国外追放者には食べ物も水もなく、自分たちがどこにいるのか、どのようにミャンマーに帰ればいいのか見当もつかない。入国管理警察が立ち去ってしまうと、かねて警察との打ち合わせどおりトラックを追いかけてきた周旋人が、国外追放者たちに近づく。

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