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幼い娼婦だった私へ
から一部抜粋 ソマリー・マム (著) /文藝春秋

二人の少女の証言

ここでわたしは、幼いときに売られて売春を強制された少女たちに語ってもらい、カンボジアの日常的現実をさらに読者に知らせたいと願っている。彼女たちの経験は、カンボジアの何千人という少女たちの経験でもある。この証言は、アフェシップで支援している3,000人の少女たちの証言と重なる。

「わたしの名はスレイ・プーヴ。14歳です。家は貧しく、わたしが8つのときに、ひとりの女の人が両親に会いにきて、家族を助けるために、家事手伝いとして働きなさい、といって、わたしを連れ出しました。家族の役に立てると思って、とても嬉しかったのを覚えています。その人とプノンペンに行ったのですが、そこで監禁されてしまいました。客をとるように強制されたのです。両親はお金を受け取りましたが、それが幾らだったのかは知りません。

わたしが断ったら、見張りの人に殴られ、食べ物ももらえませんでした。監禁されたまま、2週間ほど抵抗しました。ベルトや鞭で叩かれ、電気ショックも与えられ、2週間後には屈服しました。何日後かには、また別の買春宿に売られました。ある男が、わたしを5日間にわたって買いました。35歳ぐらいの男で、激しく殴られました。ホテルの部屋から出るのを禁じられ、食べるのもそこでした。1ヶ月間この宿にいた後、またさらに別の買春宿に売られました。そこでわたしが"処女"に戻るために縫合されました。ここで客をとるのを断ると、鞭や鉄線で叩かれ、電気ショックを加えられ、縛られ、尿を飲まされ、サソリやムカデを身体に這わされたのです‥‥。見張りの男たちは、気の向くままにわたしをレイプしました。

ここの女主人はそれまでのところよりはましでしたが、わたしが断れば、唐辛子を食べるように強制します。わたしは何度も逃げようとしましたが、毎回つかまってしまいました。その後はかならず酷い罰を受けました。10人ぐらい見張りがいて、始終わたしをレイプします。

客もとても乱暴です。11歳から12歳ぐらいの女の子が、わたしと同じような目にあっています」。

「わたしの名はチャン・リーです。わたしはカンダル地方のコー・トム地区のアンロン・ゴマン村に生まれました。ある日、女の人が母を訪ねてきて、仕事があるから、とわたしを連れ出しました。けれどもプノンペンに着くと、部屋に監禁されました。その宿にはクメールやベトナムの女の子たちが10人ほどいました。彼女たちが客をとるように、3、4人の見張りがついていました。たとえ病気でも、毎日10〜15人の客をとらなければなりません。客はカンボジア人のこともあれば外国人のこともあります。その後わたしは再び売られましたが、幾らだったかは知りません。これまで3回、麻酔もなしに縫合されました。ときおり客は大勢でやってきました。3つ目の宿では、18から19歳の年長の少女もいましたが、6歳から8歳の幼い子もいました。1日に平均して15人の客をとらなければなりません。ここに2ヶ月いた後に警察がきて、わたしを連れていきました。

最初の買春宿に連れていかれたときには、わたしはたった7歳でした。客は幼い女の子を好むのです。たいがい客は洋服をぜんぶ脱ぐように言います。断れば引き裂きます。客はみな意地悪だけれど、なかでもカンボジア人がもっとも意地悪です。欧米人は、わたしたちが到底耐えられないような、いろんなことをさせようとします。さもなければ、タバコの火を押しつけるのです」。

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‥‥その後、殴ったり、タバコの火で火傷させたり、爪をはがすようになった。いまはもっと残酷になっている。目立つところに痣(あざ)をつくるのを避けて、かわりに頭に釘を打ち込むのだ。信じられないことだが、証拠写真もある。少女を縛って電気ショックを与える。死んでゆく子もかなりの数にのぼっている。ニーク・ルオンでは、下水路のなかに少女たちが縛られているのをわたしたちが見つけた。こうした変化は、斡旋人やその他の多くの男が夢中で見ている中国ビデオの影響によるのかもしれない。この手のビデオには、あからさまなサディズムによる拷問のシーンが多い。しがないオーナーたちはこうした映画の虜になってしまい、同じシーンを再現しようとする。誰にも邪魔立てされずにできるのだ。その結果、少女たちは麻酔をかけられないまま縫合され、その2時間後にはまた客をとらされることになる。

性行為のあいだに少女が出血し悲鳴をあげたら、処女を失わせた、とアジア人は考える。幼い処女と交わることによって、不老長寿でいられ、繁栄すると東洋では広く信じられているのだ。道教や様々な魔教の妄想にすぎないが、そんな迷信が中国の習俗の核にあって、この国もその影響を受けている。処女と交われば、肌の色も、アジアでは誰もがあこがれる月の光のように白くなり、かつ若返り、幸運がもたらされると信じられている。事業や商売をしていれば、運がなによりもものをいう。そこで処女なら、客は1週間につき500から1,500ドル支払う。大変な利益だ。客のなかには、仕事上の契約を交わす前に、処女、あるいは処女とされている子と何日間か過ごす人がいる。契約がうまく結べれば、翌週もまた処女と過ごそうとする。儲けをさらに増やそうというのだ。

わたしたちの社会では、純潔を失った少女がふつうの生活に戻れることはまずない。万一そうした状況から抜け出せて一時的にボーイフレンドができても、結婚は難しい。クメール人の男と結婚しても、ある日必ず、その夫は彼女が"娼婦"であったことを責めはじめる。そのとき、そうした女性の多くは自殺する。そういうケースをどれほど見てきたことか。偏見がある限り、女の子たちがこうした生活から完全に抜け出すのは非常に難しい。それも斡旋人の手から逃れることができたらの話である。それだけでも十分に大変なことなのだから。

そこから抜け出せた若い女性に会ったことがある。彼女はタケオ地方のある村で暮らしていて、妊娠していた。村人のひとりが病に倒れたので、その家族が占い師のもとにいった。その占い師は、"魔女"、つまり元娼婦の彼女のせいにした。村人たちは集まって、その若い女性を力ずくで家から引きずり出し、広場まで引いていった。そしてその場で彼女を焼き殺し、首を切った。新聞はこの事件を取り上げたが、このことで罰せられた人はむろん誰もいなかった。

少女たちがこんな生活を送るのを望むことはありえない。幼い少女ならなおのことだ。どの客も不快な連中で、彼らが強いることに従わなければならない屈辱と疲労で少女たちは毎日泣いている。客はお金を払うのだから、王様だ。少女を殴りたければ、その権利がある。ときには、5人、10人とやってくる友達の分まで払い、哀れな少女をみんなで弄ぶ。ほとんどが泥酔している。最近は、ポルノ映画のせいで、いよいよ残酷の度合いが深刻になってきている。たとえばポイペト近郊の村などでは、10から12歳の男の子たちが集団で小さな女の子たちをレイプしていた。ポルノビデオを見て、同じことをしたくなったのだ。刑務所に入れたくても、彼らはまだ子どもだ‥。

大勢の少女たちがこうしたひどい扱いを受けて死に、ごみ捨て場や沼で遺体となって発見されている。ある買春宿が火事で燃えたあとなど、つながれていたたくさんの少女たちが焼死体で見つかった。この宿の持ち主は、はっきりわかっていた。それにもかかわらず、誰も罪に問われなかった。たくさんの子が死んでいくにもかかわらず、そのことが事件として騒がれることはない。見てみぬふりをするのが一番なのだ。明記されている法律を適用しようと考える人など誰もいない。貧民の子は一文にもならない、と言い習わされているくらいだ。それに反して、裕福な家の子になにか起きれば、殺し屋が送られる。ここでは話はすべて単純だ ! ‥‥

‥‥わたしは未だに自分を、不幸をもたらす穢れた者のように感じてしまう。いまこの瞬間もそう感じている。それはわたしのなかに深く刻まれてしまった感覚だ。寝ても、暴力やレイプの夢ばかりで、ほとんど毎晩のようにうなされている。昨夜も、蛇がズボンのなかに入ってくる夢を見た。何度もこんな悪夢を振り捨てようとしたが、だめだった。

精神科医のもとを訪れるだけではどうにもならない。実際わたしは通いもしたし、ほかにもいろいろ試してみたが、なにをどうしたところでもう身体に刻み込まれてしまっているのだ。痣や拷問の跡、タバコによる火傷が皮膚に残っていたり、鎖の跡が足首にあれば、これらすべてを拭い去ることなんてできない。わたしは過去の苦しみのなかで生きている。苦しみはいまなおそこにある。‥‥

 

‥‥ある日、モムという名の少女がやってきた。死にそうなほど殴られ、身体じゅうから血を流し、痣だらけだった。気分が悪いと訴えたが、病院に連れて行ったら、再び斡旋人につかまってしまうかもしれないので、そうすることもできず、その場で、包帯を巻き、休ませ、いくらかでも力がつくように手当てをした。ここではちゃんと保護される、と感じさせたかった。「死ぬならここで死にたい。ここにいさせて!」と、わたしがそばを離れるのを嫌がった。たぶんエイズにかかっているだろうし、急いだほうがいいと判断したわたしは、日曜目だったが、医師に電話した。しかし応答はなく、その日は一日じゅう彼女のそばで過ごした。

翌日、わたしはモムから事情を聞いた。モムは13歳ぐらいに見えたが、15歳だった。モムは、憲兵隊づきのスナーという名の店に売られていた。その店は悪名高い斡旋人が経営していて、抵抗する少女たちがすでに何人も殺されていた。モムはこの店に四ヶ月間監禁され、その間じゅう鎖でつながれ、殴られ、暴行され続けた。テュオル・コルクにあるその店は、カンボジアで多く見られる、沼に建てられた水上家屋だった。トイレは、直接沼と通じていた。ある日、床板に穴が聞いているのを見つけたモムは、夜になって、様々な汚物が浮いている水のなかに身をすべらせた。沼のなかを泳いで逃げて、警察にたどり着いた。モムは、監禁されて、虐待されたことを警官にむかって話し、警官も規則通りに調書を作成した。その後、警官は、バイクでアフェシップのシェルターまで送り届けるといったので、モムは喜んでついていった。ところが、警官たちは再び彼女を、いま逃げてきたばかりの店に連れ込み、再び売ったのだ !

店の男たちは、モムを激しく殴りつけた。「今晩こそ本当に殺されてしまう」と思った彼女は、再び床の穴からすべり出て、汚水のなかを泳いで、小高い道までようやくたどり着き、倒れる寸前まで歩き続けたのだった。警察署を避けながら、夜中じゅうさまよい歩き、朝になって、道行く人にアフェシップの場所を尋ね、わたしたちのところにたどり着いた。モムが外に出たがらなかったのも、斡旋人や警官が近くを歩きまわっているのではないかと恐れたからだった。彼女は病院も信用していなかった。わずかなドルのために、誰もが自分を引き渡すと知っていた。わたしたちはモムを写真に撮った。身体じゅう痣だらけて、顔も腫れ上がっていた‥‥。鎖につながれていた友達についてもモムは話した。その少女は、客をとるのを拒み、逃げようとしたところを、男たちにつかまり、縛られ、火をつけられたのだ。すでに警察は、その店のそばで、縛られ、火傷を負った少女の遺体を発見していた。モムは、自分も同じ仕打ちを受ける運命だと思っていた。‥‥

‥‥有力者たちに聞いてみたい。彼らの娘が暴行され強制的に売春させられたら、どう思うか。どうするのか。彼らなら問答無用で直接犯罪者たちのところに手下を送り込み、復讐するに決まっている。けれども貧しい人々は自分の娘がそんな犯罪の被害者にされても、親としてなにができるだろう。彼らをまもる法も正義もないのだ。人がなにより手に入れたいのは権力、それだけだ。いっぽう、国際的に巨大な組織は、机上の空論だけ述べて、すでに金のある悪党どもがもっと金持ちになるように金を流している。昨日もストラスブールにある欧州議会から、支援を約束するファックスが届いた。たいへん結構なことだが、圧力をかけてもらうことが不可欠だ。圧力なしでは見事な演説も空文になってしまう。カンボジアに資金援助をするにあたって、欧州連合が"透明性"を求めると、政府は毎年恒例の儀式のように約束を繰り返す。カンボジアに圧力をかけるには、その約束の条文のせめて重要事項だけでも実行されていることを確かめてから資金を渡す、という条件のもとでなければならない。そうなれば指導者たちは長い目で見たときに、なにが得になるかを考え、知ろうとするだろう。放坪な政治の報いは高くつくことに気づいたら、態度を変えることも十分にありうる。彼らは、人身売買に対してカンボジアも闘うという条例に署名したが、それはただ「援助金」を得たかったからだけで、その内容に賛同したからではない。制裁がなかったならば、文言だけ並べても、まったく無駄である。そしてわたしは、わたしたちを押し潰したがっている武装者たちの手に運命を握られてしまっている。わたしたちは、女性や未成年者を犠牲にして利益を得る人たちの邪魔をしているのだから‥‥。

わたしたちには、人身売買を実際に制裁する力はないので、国際的な組織を通じて圧力をかけるよう努めている。わたしたちがしなければ、誰がするだろう。買春宿で起きていることを、新しい客を編すために粗っぽく縫合されている少女も含めて、競売にかけられる処女の数を、誰が知っているだろう? いまはこうした巨大な買春宿を空っぽにすることはできないが、みなそういうところがあるのは知っているし、わたしたちはそこで起きていることについて証言するためにいる。いつかきっと閉鎖させてみせる。すくなくとも、そう願っている。悪党どもを追いつめたい。この国では彼らは、いつもわたしのことを「性悪女」と呼んでいる。それでかまわない。それがわたしのこの社会での本分であり役割なのだから。みんなが黙っていることをわたしが声高に叫ぶので、みんなにとって邪魔者なのだ。‥‥

‥‥最初のころ、わたしたちは経験不足で小さな買春宿でも閉鎖させることができず、オーナーたちはせせら笑っていた。けれども時間をかけ、エネルギーを使い、努力した末に、成功するようになった。いまは大きな買春宿を相手にして失敗しているが、いつかはきっと成功してみせる。絶望してはいない。わたしたちは少しずつ進んでいく。わたしたちは被害者たちのことを説明して、彼女たちの声を届けることに時聞をかけている。活動を始めてから はや9年になるが、警察と協働して効果をあげられるようになったのは、ようやく3年前からだ。世界を変えようとするなら、小さく始めて、徐々に確実に進んでいくべきだ。わたしは世界を変えたい。 人身売買人は、巨額の儲けを手にする。少女1人が売春1回につき15ドルを彼らにもたらし、少なくとも1日に最低5回は売春させられている。これが100人になれば、日に7,500ドルになり、月に20万ドル以上になる。これだけの稼ぎがあれば、どんな地位にある人でも買収できる。買収されないジャーナリストについては、ひとりずつ脅していくのだ。 ほとんどの場合、少女たちは家族に送金はしていない。家族は娘たちが「採用」されたときに契約金を受け取っているからだ。何年かして少女たちが若さと魅力を失うと、追い払われる。ほかの職業に就くこともできず親族の支えもないので、公園で売春をはじめる。‥‥


訳者あとがき

今年(2006年)の2月に聞かれたトリノ・オリンピックの開会式では、世界の各地域の代表として選ばれた8人の女性がオリンピック旗をもって入場した。イタリアの大女優ソフィア・ローレンが堂々と歩く姿がまずモニターに大きく映し出され、続いて1人ひとりが紹介された。アジアから選ばれたのが本書の著者であるソマリー・マムであり、カンボジアの人権活動家としてアナウンスされた。この開会式ではじめて彼女の名前を聞いたという人も多いのではないだろうか。日本ではごく一部の人にしか名前は知られていないが、欧米では度々新聞や雑誌、テレビ等を通してソマリー・マムの活動が紹介されている。彼女が欧米で知られる一つのきっかけとなったのは、アストゥリアス皇太子賞の受賞だろう。アストゥリアス皇太子賞は、国際的に活躍している個人や組織に贈られる権威ある賞で、スペインのオビエドで聞かれる授賞式の模様は約千人のジャーナリストによって世界中に放映される。ネルソン・マンデラや、ムスティラフ・ロストロボーヴィッチなど、そうそうたる人々が受賞者のリストに名前を連ねている。日本人としては、宇宙飛行士の向井千秋が1999年にこの賞を贈られたが、ソマリー・マムが受賞したのはその前年の1998年である。彼女がアフェシップを設立したのは1996年のことなので、わずか2年足らずのうちにその活動が評価されたということになるが、その道のりが平坦でなかったことは本書が知実に語っている。

ソマリー・マムが活動をはじめた1996年は、ストックホルムで「第1回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」が開かれた年である。この会議には122ヶ国が参加し、国際機関やNGO の関係者あわせて約2,000人が参加した。1990年頃から、子供の人身売買に反対する様々な動きが活発になり、この会議もその延長上に位置づけられる。1989年に国連総会で「子どもの権利条約」が採択され、それを受けて「児童の売買、児童売春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約の選択議定書」が定められた。日本でもこうした国際的な動向を受けて、1999年に「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」が成立する。そして2001年には、横浜で「第2回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」が聞かれた。

アフェシップもこうした背景のなかで成長してきたと言えるかもしれない。しかし言うまでもなく、自らが少女買春の被害にあったソマリー・マムの存在が大きい。彼女の10代は凄惨としかいいようがない。日本はそのころバブルで沸き立っていた。カンボジアでは現在も、10歳にも満たない少女たちが、売られ、売春を強要されている。少女たちが様々な病気の危険にさらされているのはもちろんだが、心に受ける傷もはかりしれない。少女買春の被害にあった者の気持ちは、どれほど身近な人であっても理解することはできず、同じ経験をさせられてきた少女たちとしかわかちあえない、とソマリー・マムは繰り返す。子供のころに性的暴力にあうと、自分は悪くないのに自己を肯定できなくなったりしてしまう。たとえのちにそうした世界から逃れることができても、そのころに受けた傷はいつまでも残る、という事実を本書は生々しく伝えている。

幼い少女たちの売買は、取り締まることが極めて難しい犯罪であることも本書を通して知らされる。16章に書かれている事件は、外国のマスコミに取り上げられ、国際社会も反応した。2004年の12月、30人近くの男たちがアフェシップのシェルターに押し入り、91人の少女たちを連れ去った。彼女たちの多くは、前日にプノンペンのホテルから人身売買対策部によって救出されたばかりだった。この事件に対するカンボジア政府の対応は遅く、国際社会から非難の声があがった。こうした批判を受けてか、事件直後に解任された人身売買対策部の女性責任者は、その後復職している。また2005年1月には、欧州議会がカンボジアにおける児童の人身売買の状況を憂慮し、決議案が提出され、採択された。決議文では、子供の性的搾取に関して、カンボジアおよびEU 加盟国が法的、その他の面において対策をとるよう求めている。また、ソマリー・マムの身の安全を保障するようカンボジア当局に強く要求している。

ソマリー・マムを支えているのは、少女たちを助けたい、という、彼女自身がまだ買春宿にいたときからの強い思いだろう。少女たちの救出のために文字通り命をかけて活動する彼女の生き方は、人々を動かしつつある。幸せがどういうものかを知らないと断言するソマリー・マムも、少女たちが笑顔を取り戻していくと いっとき心が安らぐ、という。

事実、少女たちと遊んでいるときに見せる笑顔は輝いてみえる。彼女は毎晩3時間程度しか眠らずに活動に力をそそいでいるが、買春の被害にあう幼い少女が1人もいなくならないかぎり、それは続くだろう。

アフェシップ カンボジア
ソマリー・マムに関する映像

【動画】カンボジアの児童買春宿(MSNBCから)
この取材の記事(WEB翻訳)